武漢のリフェン-武漢のリフェン:濃厚な歴史感情

    2013-06-05

  北京の胡同、上海の石庫門のように、武漢では、類似の民居建築「リフェン」がある。この民居は特定の歴史時期に形成し、都市の特有の地域文化を示し、都市個性魅力の重要な構成部分である。今、北京は「胡同を守る」戦いを始めた。上海が力を入れて石庫門を保護・改造することは、各都市の模範となった。では、相当な規模を持ち、約百年歴史を持つ武漢のリフェンについて、私たちはどう対処するか。

  漢口智民里

 近年、武漢市の旧城改造は盛んに行われている。古い市街地はほとんど高層ビルに取って代わられた。繁華街にある古いリフェンが取り壊されたことは避けられない。1993年、武漢市政府は大陸坊、江漢村、同興里を二級優秀歴史建築保護プロジェクトと認定した。ただし、大量な優秀なリフェンは保護されず、取り壊された。1996年の統計によると、武漢では元々リフェン208本がある。今、140本のみ残り、68本がなくなった。1998年、僅か二年間に、30本のリフェンは取り壊された。2003年後半、武漢市の最大規模のリフェン「生成里」も機器の轟く声に失った。多くの武漢人が聞き慣れているリフェンの地名は歴史となった。

  武漢のリフェンは、北京の胡同、上海の石庫門のように、特有の地域文化を示す重要なキャリアになれるか?私は武漢理工大学建築学院長の李百浩を取材した。彼は、リフェンの関連材料を指さし、残念で言った:私たちのタスクは、早くリフェンの資料を保存することだ。私たちが一昨年または昨年に測量したリフェンは、今年に失った。リフェンの価値について、李院長が述べた:リフェンは高齢者のように、身の上に価値ありの物がある。大面積でリフェンを取り壊すことは、戦争を利用して高齢者を殺すことと同じように、取るべきところがない。既に取り壊された建築について、どう取り扱うか?李院長は述べた:取り壊したら済む。取り壊した後、お金をかかって復旧することは、意義がない。それは元々のものではない。取り壊しの中から教訓を見つけ、「存在している、確かに保護価値を持つ部分」の保護方法を身につけ、今後に同じミスを起こさない必要がある。こんな歴史遺跡をぶち壊したら、永遠になくなる。

  既存のリフェンを探すために、私は長い期間をかけて、武漢の街路で歩く。リフェンに入る時、まだ続くいている歴史に入るようだ。精巧で謹厳な建物、エレガントで静かな庶民生活と武漢文化の濃厚さは、私の探究の視線とふける足を引きつける。濃厚な歴史感情は、懐かしさを人々に与える。この都市に対する熱愛と美しい将来への無限な憧れを呼び起こした……

  武漢百年民居の素晴らしい縮図

 漢口のリフェン民居は、ここ百年間の民居文化の縮図であり、漢口開埠後の西方低層タウンハウスと中国伝統の四合院建築の結合体であり、東西方文化交流の産物であり、「中西建築文化融合」のサンプルである。その建設時間は約19世紀末20世紀初から1937年日中戦争前まで。30年余りに、武漢は合計208本のリフェンを建設した。その発展は三つの段階に分けられる。各段階には、逸品とも言える民居建築が残った。100年を経たこれらの優秀なリフェン建築は、古朴、謹厳でエレガントな芸術傑作のようだ。その建築芸術や歴史文化価値は、時間が経つにつれて衰退していない、かえって歴史文化のスポットライトとなった。

  近代リフェン民居は実に典型的な「漢派」風貌である。西洋学者は曾て漢口を「五方雑処」の都市と称した。つまり、漢口は濃厚な文化寛容特性を持つ。1920~1936年間に相次いで建設完了された福忠里、退思里、江漢村、六也村、洞庭村、上海村、大陸坊などリフェンは、武漢のリフェンの優秀な代表であり、中国近代都市建築史に重要な地位を占める。これらの優秀なリフェン民居に歩く時、私たちは直接に漢口建築業従業員の器用さを感じた。彼らは、西洋近代建築を受け入れると同時に、自分の建築言語で改めて解釈した。これらのリフェンには、様々なスタイルの建築部屋、中国風の石庫門、土庫門、ヨーロッパ風の洋館と「中国風や西洋風を持つ門楼」は全て存在する。石庫門の扉装飾はほとんど伝統的な花鳥虫魚の図案を使用し、エレガントで、富貴さを示す。住宅内の局所装飾も精細で、一部の木製ドアや窓が窓格子で、窓の下半部に条環板が嵌め合い、作りが精細で、花心と腰華板の装飾が中国伝統建築花飾図案を使用し、精緻な木製手すりが伝統民居の精巧、エレガントな内装スタイルを示す。これらの様々なスタイルの建築特徴はリフェン建築の文化を構成し、歴史の思い出を構成した。

  リフェン民居は十分に建築の人間化魅力を示す。武漢の火炉都市の特徴に応じて、リフェンは、季節変化に適し、室内高温緩和のデザインを重視する。部屋に良い通風や日光遮り設備がある。住宅の窓が両層であり、中にガラス窓があり、外層が木製シャッターである。日光が直射する場合、外層シャッターを閉めて、日光を遮り、通風が良い。部屋に、木製手すりと木板「仕切り」で、部屋をいくつかに隔てる。仕切りには、精美な彫刻がある。この伝統的な木製装飾は、冬にエレガントさと古朴さを加えた。夏に取り除くと、広々で明るい。昼間に通風し、夜に涼をとる。

  リフェンに濃厚な武漢家族愛が含まれている

 リフェン民居は文化のシンボルであるだけでなく、人々の心に保留する家族愛溢れの場所である。リフェンは重要な民居として、数代の人々の感情を示している。リフェンには、町内の交流に役立つ大きな公共空間がある。この空間に、住民は互いに交流し、高齢者が座って、子供が遊び、夏に密集の竹ベッドに涼をとり、冬に高齢者たちがドアの前に日光を浴びて、よもやま話をする。この空間は家庭の延伸となり、リフェン内の住民が「親族関係がないけど、互いに打ち解ける」大きな家庭を形成した。

  私は曾て坤厚里に過街楼を見た。ちょうどあの日に、リフェン内のある家の盆花が盗まれた。隣居たちは、悲しい落とし主をめぐって、義憤が胸いっぱいになり、口々に泥棒を譴責した。町内の間に示す濃い家族愛は、道行く人を感動させた。高層ビルに住む人々は、どうしてもこの慰めを感じない。そのため、リフェン内の住民は互いに公共責任を負い、自覚的にリフェンの安全を守る。ある人の家に問題が生じる場合、リフェン全体は不安になり、将来の安全を保証するために更に警戒を上げる。

  リフェンの入口に牌楼がある。牌楼はリフェンの名称を示すだけでなく、無言の広告のようだ。人々はそのリフェンの位置を識別し、その名称を覚える。

 リフェンは近代漢口の繁栄な商業を証明した。泰興里、咸安坊、同興里と江漢村に入ると、その精緻な建築に、曾て有名なビジネスマンが集まった。彼らの努力のおかげで、漢口は約百年の時間に、中国の著名な商業重鎮となり、他の都市を見下げた。1865~1937年、73年間に、江漢関の間接貿易額は42年間に四大口岸(上海、天津、漢口、広州)に第二位であり、18年間に第三位だった。もちろん、リフェンはこの歴史を証明した。

  「特有の武漢」の建設には、リフェンは特別な価値を持つ

  リフェンはこんなに多い文化意味や人文精神を持つので、リフェンは物質製品であるだけでなく、感情付きの精神製品である。従って、リフェンの保護は、我々の都市歴史文化の保護での重要なことである。武漢は曾てリフェンの改造・保護について努力した。例えば、如寿里の再建時、曾て保護意見について武漢住民に聞いた。しかし、如寿里の改造結果は良くない。リフェンの保護はまだ引き続き検討されている。李百浩院長は述べた:リフェンの保護は発展的な保護であり、レベル、地区に分けて、保護の上で利用する必要がある。都市改造は単なる取り壊しや再建ではない。一部の古い建築から大きな商業価値を掘り出すことができる。例えば、上海の里弄の石庫門は改造された後、特色を持つ商業区となり、大量の国内外観光客を引きつけ、そこに観光、ショッピングする。武漢の多くのリフェンもそんな潜在力を持つ。例えば、江漢村、もし良く建設されたら、小規模な江漢路になるかもしれない。リフェン内の部屋や建築がぼろぼろになる問題について、李教授は述べた:これは部屋自身の問題ではなく、人の問題である。長年に居住人口が密集しすぎ、部屋が疲れすぎた。技術において、改造・補強することができる。

  新しい旧城改造では、どのように特定の地域文化資源により、地方文化の継続や発展を責任として、「特有の武漢」を建設するか(李憲生市長が語る)は、大きくて意義ありの課題である。武漢民居の独有ブランド「リフェン」として、将来の都市発展に特有の武漢景観を構成することにおいて、特殊で不可欠な重要価値を持つ。