武漢の民俗-武漢の朝食

    2013-06-07

  武漢では、朝食は「過早」という。「広東は食い倒れ、上海は着倒れ、武漢はその両方だ」と言われている。武漢は華中地域に位置し、全国各地からの食習慣が武漢に伝わってきた。それで、「俗具五方」とも言われている。

  地理的環境と経済活動の関係で、武漢は古くから外で朝食を取る習慣があった。武漢には漢口、漢陽と武昌という3つの鎮がある。漢口は商売が繁栄していることで知られている。朝、急いで市場に駆けつけるため、家で朝ご飯を食べる時間がなく軽食店で食べることにしている。「過早」という言葉は清の道光時代の『漢口竹枝詞』でのか始めた現れた。現在、この習慣はなお残っている。それに、現代生活のリズムが早くなり、また、武漢三鎮の地理的分布特徴により、家が職場や学校との距離が一層長くなり、「過早」の習慣は強まる傾向がある。武漢の軽食店は至る所にあり、商売が非常に繁栄している。武漢の朝食は速く便利なうえ、種類が多く、南北の味を持ち合わせている。油条(、面窩、シューマイ、湯包、豆皮、熱乾麺のほか、牛肉線粉、ジャージャー麺、豆丝、水餃子、湯団子などがある。

  安くてボリュームのある熱乾麺は地元でもっとも人気のある朝食の一つで、1元で腹いっぱいになれる。20世紀30年代初期に、漢口長堤街に李包という人がいた。関帝廟あたりで涼粉とタンメンを売っている。ある日、天気が熱く、麺が売り切れなかった。李包は売れ残った麺がすえるのを防ぐため、麺をすくい板に干していたが、うっかりして油の入れ物が倒れて、油が面にこぼれた。李包はいっそごま油を入れ、改めて干すようにした。次の朝、李包はごま油が混ぜた麺をお湯に 入れて、数秒茹でてから茶碗に入れ、ネギなどの調味料を入れ混ぜてみた。すると、良い匂いが漂い、人々は争ってその麺を買うようになった。麺の名前が聞かれた時、李包は「熱乾麺」と思わず答えた。その後、熱乾麺は武漢市民の朝食メニューに欠かせない食品になった。武漢熱乾麺は、山西省の刀削麺、広東省と広西省の伊府麺、四川省の担担麺、および中国北部の炸醤麺とともに「中国の五大麺」と呼ばれている。

  もう1つ人気のある朝食は武漢民間の伝統軽食三鮮豆皮だ。豆、米、水を混ぜて皮を作り、そして皮にもち米とひき肉を包み、油で揚げてから食べる。昔は祝日を祝うときに食べる食品だったが、その後段々と普通の朝食になってきた。豆皮の制作において、「皮薄、浆清、火功正」がコツだ。そうすると、皮がサクサクして、中が柔らかく、油っこくない食感の豆皮が出来上がる。三鮮豆皮は新鮮な肉、新鮮なタマゴと新鮮なエビで名を得た。老通城の豆皮は全国に名を轟かせている。そこには、肉、たまご、エビのほか、豚の心臓、豚モツ、しいたけ、コーンフレーク、チャーシューなどが餡になる豆皮もある。食材の選択や揚げ具合にこだわりがあるため、出来上がった豆皮は黄金色になっていて、おいしい。面窩は武漢市民が朝食の時によく食べるものだ。米粉で作り上げたらネギの千切りをかける。清の光緒時代、漢正街で焼餅を売っている人によって作り出されたものだと言われている。揚げた後、両面が黄金色になっていて、外は歯切れがよく、中は柔らかい。真ん中はサクサクしている。多くの武漢市民に愛されている。

  戸部巷:武昌自由路にあり、長さ150メートル。20年余りもの歴史を持つ朝食屋台を有していることで有名。清朝、藩台衙門(政府公務ビル)に近いため名づけられた。石婆婆熱乾麺、徐嫂糊湯粉、陳氏牛肉面、高氏夫婦のお粥と煎餅及び万氏夫婦米酒など30種類余りの朝食と軽食がある。地元の飲食文化をよく受け継いでいる。

  二か月の修繕を経て、戸部巷は2003年9月19日から朝食の提供を再開した。